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January 28, 2005

生きる@乙川優三郎

講談社文庫。乙川さんが直木賞を受賞された作品です。
確かに渾身の、されどとても辛いお話。
舞台は江戸時代の最初のほう、まだ主君が死んだ折の殉死の風習が
残っていたころ…もう50歳になろうとする又右衛門さんは重用してくれた主君の死が近いのを感じてひそかに殉死する覚悟を決めているわけです。
当時は殉死は忠義の証し、死んだものは謗られるどころか忠臣として称えられ、遺族はその恩恵で加増されたり取り立てられたりした時代。

ただ、殉死によって藩の優秀な人材がいなくなってしまったり業務に支障が出てくるわけで。それを憂えた家老が又右衛門ともうひとり、殉死しそうだと思われている比較的年配の二人が呼び出され、殉死を思いとどまるよう約束させられるわけです。表向きの理由の他に、殉死を禁令とするのでもし破ったら残された家族にまで迷惑がかかるぞ、と半ば脅すような形で。
「死んだほうがまし」と言う言葉があるけれど、この主人公のその後の生活は文字通り針のむしろと化すわけです。
同輩や他の家中の目は一気に冷たくなり、禁令を定めた家老に対する反感も手伝って無視されるわ、嫌がらせをされるわ、娘婿が本会を遂げて殉死しちゃった後は家族の間にも波風が立ってくるわけで…もう苦難のオンパレード。
この話ってたぶん、森鴎外の「阿部一族」も意識してかかれた作品なのではないかしらん?(作者が言及されているかもしれないのですがわかりません)。あれは、殉死を禁じられる→結局死ぬ→その後に残された遺族の悲劇なんですが、こちらの主人公は飽くまで生き続けることを選びます。

「阿部一族」とあわせて、なぜか旧約聖書の「ヨブ記」を思い出しちゃいました。ヨブと言う善人が妻とたくさんの子供に恵まれて幸せに暮らしているわけですが、神様がこの幸せが壊れても彼は信心深くいられるだろうか、とどんどんその幸せを奪っていく話ですね。なんか、この「生きる」を読んでそれを思い出しちゃったよ(TT)もちろん、相手が神ではないだけに過程も、結末もだいぶ違うわけですが、自分の意志と関係ないところで正しく生きている主人公が、自分の意志と全く関係ないところで理不尽な運命に翻弄されるところが。
文体が飽くまで淡々としているだけに、行間に滲み出るような主人公の苦悩がたまらないです。というか、その苦しみを逃れるには死ぬしかなく、でも死んでしまえばそれまでの苦悩は何?、という状態。
結局、生き延びる事を選ぶわけですが、ラストシーンが安直なハッピーエンド(光は見えるけど)でないところが深いです。乙川優三郎さんの作品は派手さはないけど、独特の味わいがあってこの後も楽しみです。ちょっと藤沢周平氏に通じるものがあると思います。

チャン・イーモウと言う中国映画の巨匠にやっぱり「いきる」と言う作品があり(こちらの邦題は「活きる」)、こちらはもう少し明るさがあるけどやっぱり運命に翻弄される話。あわせて賞味されると面白いかもしれません。

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